香港の思い出

~ 弊ホームページに2017年掲載したものです ~

香港の思い出

香港の思い出~Part-1(掲載時期:2017年7月)

サラリーマン時代に2度(香港&マレーシア)どちらも3年間程の海外生活を経験しています。香港は家族帯同、マレーシアは単身赴任でした。

どちらも忘れ難い思い出を残しており、自分の人生に少なからず影響を及ぼしています。

特に香港(約30年前に初めての海外赴任)はいろいろな出来事が思い起こされます。

いくつかのPartに分けて、その頃にタイムスリップした気分で印象深い出来事を記載します。

<Part-1/空港での再会>

海外赴任して少し現地に慣れた後に、家族を呼び寄せた方が良いとの会社判断から、妻と娘達には日本を離れてから5ヶ月ぶりに香港の空港で再会しました。

その時、娘達は4歳4ヶ月と2歳4ヶ月。久しぶりの再会で心高ぶっていたのに、まったく笑顔を見せずよそよそしくて「あれっ、どうしたんだろう?」と不安な気持ちになりました。

それでも、香港のマンションに着いてから、打ち解けてくれて、以前の家族の雰囲気に戻れたことでようやく安心しました。久しぶりの再会以外にも初めての飛行機渡航で幼いなりに緊張していたのだろうと思います。

また、日本離れた時はまだ会話も出来なかった次女が、まともに話し始めたことにビックリでした。

香港での家族一緒の生活は、この日の“不安”、“安堵”、“驚き”からスタートしました。

 

香港の思い出~Part-2(掲載時期:2017年7月)

<Part-2/食欲旺盛>

家族一緒の生活が始まって間もない頃、家族を連れてレストランで外食しました。

香港に早く慣れて欲しいという思いもあって、出来るだけ地元の人達で賑わう店を選びました。観光客目当ての高級店ではなく、見た目はさほど豪華でもない庶民的な店ですが、料理は美味しく地元の人達に人気のある料理店です。

娘達の反応がちょっと心配でしたが、広東語が飛び交う店の喧噪さに動じることなく、骨付きの肉を手掴みでかぶりつくように食べる姿を見て“食欲旺盛!”と安心するとともに“これならどうにか海外でやっていける!”との思いを強くしました。

 

香港の思い出~Part-3(掲載時期:2017年8月)

<Part-3/クリスマス・イブ危機一髪>

妻と娘達が香港にやってきた2ヶ月後のクリスマス・イブに繁華街に繰り出しました。

多くの建造物に彩られた素敵なイルミネーションを家族と身近に眺めようと思ったからです。

香港は花崗岩のしっかりした岩盤の上にあることや地震がほとんどないことから、(日本の建築法ではとても認可されないであろう)ひょろっとした高層マンションが、特に人口密度の高いエリア(九龍半島東南部、香港島北部)に立ち並んでいます。いわば、狭い土地ゆえに多くの人々が地上から高層階まで縦列状態で住んでいることになります。

それが、クリスマス・イブというイベントで、多くの人々があちらこちらから地上に降り立って次から次へと街に押し寄せてきたことで、その時の混雑ぶりは尋常ではありませんでした。京都の祇園祭の賑わいも相当なものですが、それを上回る状態でした。

ここで、言葉もわからず、土地勘もない妻と娘達を迷い子にしてしまったら、大変なことになると繋いでいる手が離れないように握る手を一層強くして、必死の思いで人混みを抜け出しました。

2年目、3年目のクリスマス・イブは、これに懲りて家から出ませんでした。

 

香港の思い出~Part-4(掲載時期:2017年8月)

<Part-4/エレベータ故障多発>

香港生活で困ったことの一つにマンションのエレベータ故障がありました。

私達が住んでいたのは、記憶がやや不鮮明ですが、30数階建て高層マンションの18階あたりでした。

残念なことに利用できるエレベータの故障が結構多くて、その度に階段を上り下りしていました。特に平日日中にエレベータを利用する機会の多い家族は、大変だったと思います。

当時、私達が住んでいたマンションに限らず、他のマンションも同様で、メンテナンス不足による故障多発は香港全般に言えた傾向です。

今、香港は長寿世界一となっています。この理由には諸説(・儒教思想により年寄りを大切にする、・常日頃から健康への関心が高い、・社会全体から適度な刺激がある、等々)ありますが、当時も漢方薬や生薬を売る店が街々に多かったこと、医食同源の食文化が根付いていたこと、また、太極拳など積極的に体を動かすといった習慣があったことなど、思い当たる面があります。

このように、自らの健康には高い関心をもつ香港人ですが、設備に対する予防保全への関心は低く、全般に浸透していなかったようです。

 

香港の思い出~Part-5(掲載時期:2017年8月)

<Part-5/ビクトリア湾の花火大会>

香港では、貧乏人は低地に住み、金持ちは高地に住むといわれています。

平地が少なくアップダウンの大きい土地柄で、低地は人口密度が高くて年中蒸し暑く好まれず、経済的に可能であれば、住居環境の良い高地に住むという傾向にあります。

香港に赴任してきた日本人の多くは、それなりに身分が保証されていることもあり、小高い山の上部に建つ高層マンションに住んでいました。私達が住んだマンションもそのような一つでした。

その点では、エレベータ故障による不便さは、風通しが良く、香港の夜景も見える素晴らしさが幾分カバーして、相殺してくれました。

このマンションからの眺めで記憶に残っているものにビクトリア湾の花火大会があります。

香港の旧正月は、様々なイベントがあって、一年の中でも華やかで賑やかな時期になりますが、九龍半島香港島の間のビクトリア湾での打ち上げ花火大会は、その最たるものです。

海上からマンションの部屋までの高低差ゆえに、この花火をマンションの窓から見下ろし鑑賞したことがいつもの情景と異なり稀有な思い出になっています。

 

香港の思い出~Part-6(掲載時期:2017年8月)

<Part-6/マンション浴室からの水溢れ事件>

浴室バスに水を出していてうっかり止め忘れてまま、家族で外出してしまったことがありました。

帰宅して気づき慌てて蛇口を閉めた時には、浴室以外の床まで水が溢れて出ている状態でした。

その日或いは翌日(?)、マンション管理人から階下の部屋の壁伝いに水が滲み出ている旨の苦情連絡があり、一緒に、階下の住人にお詫びに行きました。

そこに住んでいた方は香港人でしたが、「日本人じゃしかたないなぁ」と怒ることもなく半分諦めモードとさばさばした態度で赦してくれました。このトラブルで、香港人というか中国人の鷹揚さを感じました。

 

香港の思い出~Part-7(掲載時期:2017年8月)

<Part-7/タクシー>

香港では、会社規則により自分で車を運転することは禁止されていたので、休日に出掛けるときはタクシーを利用していました。道路を走るタクシーの数が多く容易に乗れたことやタクシー料金が安くて(当時:日本の1/4~1/5程度)経済的に良心が痛まなかったことがあります。

香港は広東語が全般的に使われており、タクシー運転手は英語が話せない人が多いため、通用する簡単な広東語を覚えるか、漢字で書いておいた紙を見せることで対応しました。

漢字で意思疎通が図れることに、多少なりとも安心感がありました。

 

香港の思い出~Part-8(掲載時期:2017年8月)

香港3年間において、休暇活用して幾つかの香港以外の観光地を家族4人で旅行しました。

広州(中国)、マカオ(中国)、コタキナバル(マレーシア)、バリ島(インドネシア)等ですが、その中でも、広州旅行とバリ島旅行で起こった出来事は、記憶に強く残っています。

<Part-8/広州旅行のハプニング>

香港九龍→中国広州を直通電車で、広州駅→ホテルをタクシーで移動予定でした。

ホテルは、旅行会社から広州で有名と紹介された「ハクチョウホテル」を予約済みでした。

広州駅前は多くの人々で混みあっている状態で、タクシー乗り場を探して歩いていたところ、「何処まで行く?」と中国人数人が寄ってきて広東語で語り掛けてきました。

これ幸いと事前準備の漢字(「白鳥賓館」だったか「白鳥大酒店」)を見せて、ここに行きたいと伝えたところ、全員ここは知らないと顔を横に振ります。“これはマズイ”と不安を感じ始めた時、「俺知っている。案内する。」と身振りでそれとわかる意思表示の中国人が現れました。

これで、ホテルに辿り着けると彼について行ったところ、彼の車は、なんと前輪1タイヤの3輪小型トラックでした。

“えーっ、白タク!”、今さら後戻りも出来ず、ホテルに向け出発して、広州の一流ホテルになんとなく不釣り合いの3輪車で乗りつけることになりました。

そして、あとで分かったことが三つ。

1)ホテル名の勘違い

 「ハクチョウホテル」ではなく、「ホワイトスワンホテル」、漢字記載は「白天鵝賓館」でした。

旅行会社から聞いたホテル名をどう聞き違えたのか、たぶん「ホワイトスワン=ハクチョウ→白鳥」と思い込んでしまった(?)。→ホテルなどの大切な情報を確実に抑えておくこと!

また、3輪車の彼は、経験から日本人の勘違いに気づいて機転を利かしたと思われます。

2)タクシー乗り場

 本来のタクシー乗り場はもう少し先にあり、辿り着くまえに白タクメンバーに囲まれたことになります。→見知らぬ土地に行くときは、位置情報などを事前に確認しておくこと!

3)白タク料金のぼったくり

 ホテルから広州駅近くに移動するために利用した(タクシーではなく)ハイヤーに支払った料金が、3輪車の白タクに支払った料金の約1/3でした。→信用できる交通機関を利用すること!

以上ハプニングはありましたが、広州旅行はホテルからの眺めも良くなかなか素晴らしかったです。

それと、広州駅の活気や白タクの件は、中国人のバイタリティーを大いに感じさせた出来事でした。

 

香港の思い出~Part-9(掲載時期:2017年8月)

<Part-9/バリ島旅行のあわや溺死危機一髪>

その日、バリ島の旅行日程が重なっていた先輩家族と遠浅の海岸に遊びに出掛けました。

水中メガネで海中の小さな熱帯魚を眺めながら、ゆっくり沖の方へ泳いでいきました。先輩家族と私の家族は、浜辺で遊んでいました。

しばらく泳いでいて、少々深くなってきたように感じて、一旦泳ぎを止めて立ってみました。

岸から結構遠くに来ていたと知りましたが、その時は、肩から上が海面から出ている状態で、そんなに不安に感じませんでした。ただ、なんか足元がぐらぐらして安定感がありません。海の中を覗き込んで、岩石などが積み上がって小高くなった狭い場所にたまたま立っており、その周囲はもう一段深くて足がつかないことに気づきました。

その瞬間、海が急に広く深く暗くなったようで、にわかに心臓がバクバクして呼吸が早くなり、息苦しさを感じました。浜辺で遊ぶ家族達が小さく見えました。声が届く距離でもありません。

通常であれば岸まで泳げるのに、この心身状態では途中で息切れする不安を覚えました。

平静になろうと努めながら、波が来るたびに体が前後左右に揺さぶられるため、このままでは体力が消耗してしまう、岸に向かって泳ぎ始めなければと覚悟しました。支えになったのが、仰向けで海面に浮かび休息し呼吸する方法です。

以前から練習して体得していたので、苦しくなったらこの方法でなんとかなると。泳ぎと仰向けで海面に浮かぶことを何度か繰り返しながら、足がつく場所まで辿り着いた時、ふっと体から一気に緊張感が抜けました。

今から振り返れば一瞬の出来事でしたが、天国と地獄を行き来したような思い出です。

楽しい家族旅行で大変な事件にならなくて本当に幸いでした。

 

香港の思い出~番外編(掲載時期:2017年8月)

<番外編/17年後の再訪問>

約3年間の香港生活を終えて、1990年に日本に戻りました。(それから7年後の1997年に香港は中国へ返還されて現在に至っています。)

2007年に家族4人で3泊4日の香港旅行をしました。現地暮らしではない短期旅行であること、あの頃小さかった娘達が成人となったことなど、異なる視点と状況で香港を再訪問しました。

九龍半島先端に立地するホテル(インターコンチネンタル香港)1階からの煌びやかな夜景、ビクトリアピークから眺める百万ドルの夜景、中国境界線近くからの経済特別区(深圳)風景、ビクトリア湾クルーズ、中華料理、飲茶、などなど、懐かしさが蘇ってきました。

17年後の再訪問でしたが、夜景の美しさや街の賑やかさは以前と変わらない風景でした。

ただ、当時のビクトリアピークは何もない静かな山の一角でしたが、再訪問時は、多くの建物が立ち、人混みも凄くて、すっかり観光地に変貌していたことは驚きでした。

今後、香港がどのように変わっていくのか関心をもって注目していきたいと思っています。